誰もが誤解したり、誤解されたり ポール・サイモン

ポール・サイモン?フォーク歌手でしょ。

サウンド・オブ・サイレンスだったり明日に架ける橋だったり、ああ、スカボローフェアなんかもそうだよねw

ポール・サイモンのイメージはあらかたこんな感じではないでしょうか?

せいぜいソロを聴いていても、スティル・クレイジー〜はいいよね。とか、母と子の絆もいいよね。

なんて声がせいぜいでしょう。

 

いや、こんな偉そうなことを書いていたって、ポール・サイモンのイメージは、数年前まで自分もそうそう変わらなかった。

しかし、違和感を感じ続けていたのだ。

「コンドルは飛んでいく」が「明日に架ける橋」の中で浮いているような気がしてならなかったし、改めて聴いてもやっぱり変だったり。

時折ずっと鼻歌で時折歌い続けるくらい好きな「Adios Hermanos」はカリプソのようなメロディで、それをゴスペルと混ぜたみたいな曲なのにサイモンらしい楽曲に仕上がっている。この曲って凄いんじゃないか?凄いっていうか、P・サイモンって何者なんだよ?と言う疑問がムクムクと湧いてきたのだ。

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とても素敵な曲で、とても奇妙な歌にしか思えない。

これが「明日に架ける橋」や「サウンド・オブ・サイレンス」を書いたシンガーの曲だとすぐに分かる人がいるだろうか?

ひょっとしてP・サイモンを舐めていたんじゃないだろうか?

そんな折、タイミングよくサラ・ジャローズがサイモンのカヴァーを披露していて、「とても重要な影響を受けたSSW」と言っていて、益々サイモンについて再評価をすべきタイミングなんじゃないか?と思うようになってきたのだ。

大体、オルタナカントリーへの興味の糸口の一つはクリント・イーストウッドの「スペースカウボーイ」でウィリー・ネルソンが「スティル・クレイジー〜」を歌っていて、ブラッド・メルドーがピアノでカヴァーしていて、それに一発でヤラれたと言うのもきっかけの一つで、そこからサラにたどり着いたら、またP・サイモンが顔を出す。

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これは偶然だろうか?いや、決して偶然ではない。

アメリカンミュージックという意味不明なくらい広い音楽ジャンルの中で、P・サイモンが果たした役割がとても大きいということを意味していると考えるのが自然だ。

P・サイモンを語る時、サイモン&ガーファンクルを避けて通る訳にはいかない。

そして、その存在と余りにも有名過ぎる代表曲の数々が、ポールのソロを評価しにくいものにしている。

サイモンがソロで作り続けていたのは、様々な音楽スタイルを貪欲に吸収し、それを咀嚼し、自分なりの音楽にする。この極めて難しい作業を淡々とやってきたのだ。

「Adios Hermanos」は、その一端に過ぎなかった。

有名白人ミュージシャンで初めてレゲエを扱ったアーティストであるサイモン。ジャズもニューオリンズセカンドラインも、フォークもラテンもアフリカも、そして最近じゃアルゼンチンのリズムさえも取り込んで我が物にしているサイモン。

しかも新作にはニコ・ミューリーも参加しているというじゃないか!

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そのキャリアを振り返ると、サイモンの「音楽による世界一周」の様相を呈した作品郡にはため息しか出ない。そして、その偉大なる業績は、サイモン以上に大物と評される人、ディランやマッカートニー、ストーンズなどに劣るどころか、上回っているんじゃないかとさえ思う。

もちろん、P・サイモンといえばNYといったイメージもあり、その洗練されたセンスやソングライティング、どこかジャズのフレイバーを感じる楽曲も多く、そこらもP・サイモンのアグレッシヴな姿勢を見えにくくしている気がする。

アメリカの音楽とはなんだろう?と考えた時、様々な移民が持ち寄った音楽が融合、拡散を繰り返し、多種多様な音楽を取り込んでいったアメーバのような音楽と考えるならば、まさしくP・サイモンの歌はアメリカそのものなんじゃないだろうか?

そして、そのアメリカの音楽を作ったのがユダヤ系のP・サイモンだというのも、まさにアメリカらしいエピソードにも思えるし、合点が行ってしまうのである。

 

あなたの泣き顔に 栄光 七尾旅人/兵士A

今更言うことでもないけど、七尾旅人は炭鉱のカナリアのような感性を持っています。

時代に寄り添い続けるイタコのような存在なのでしょう。

「兵士A」

このタイトルを聞いた時、素直に「凄いなあ」と思いましたね。

何か色々な時代の空気の断片が凝縮されたようなタイトルに思えたからです。

この個性的で強力な七尾の感性に多くのアーティストが吸い寄せられています。

本作にゲスト出演している梅津和時や内橋和久、山本精一勝井祐二など、インプロ系のアーティストから、石野卓球向井秀徳などがこぞって七尾旅人と共演したのが偶然でもなんでもなく、七尾旅人の感性が呼び込んだと言えます。

2000年代の日本のロック史に残る傑作「911ファンタジア」の続編とも言える「兵士A」は、待望の七尾旅人妄想リアリズム作と言えるでしょう。

芸術論のようになってしまいますが、リアルとは何か?ということです。

参院選改憲が騒がれ、ニュースでは不穏なバラバラ殺人やストーカーまがいの事件が連日報道され、変におしゃれになった右翼の街宣車に違和感を感じ、海外ではテロが頻発し、日常生活は何やら窮屈で不穏さが漂っているように思えます。

その不穏な空気を言葉にすること。今すぐ戦争が始まる訳では勿論ないけれど、その予兆なものを言葉にする時「僕たちは戦前を、戦前を生きています」という歌詞は、その空気を妄想以上、実際以前で表現していることの方がリアルだと思うのです。

「明日に希望がある」といった類の言葉と「戦前を生きています」という言葉のどちらにリアルを感じるかはその人次第。

私は七尾の「戦前を生きています」という言葉にドキッとし、周囲を見渡した時、何かが変わって見えるような気がするのです。

本作「兵士A」を見て、久々に七尾旅人が独特な弾き語りを進化させていて嬉しく思いました。

七尾旅人911以降、その妄想リアリズムを一人で表現していく過程でギターだけではなくサンプラーエフェクター、リズムボックスを貪欲に使い、どんどんその独自の世界を拡大していく姿を見て、興奮していました。

したり顔で海外のアーティストで色々な楽器を駆使して演奏するだけのアーティストを「七尾より凄い」という鈍感な輩がいて失笑するしかありませんでしたが、それは本質を全く理解していないからこそ愚鈍だと思ったのです。

ただ一人で様々な音を出すだけであれば、これだけサンプラーなどの機器が進化していれば、それなりに出来ることくらいは分かるのです。

七尾旅人は表現したいことを形にする為であれば、新旧問わず道具を駆使することを辞さないのが分かるからこそ凄かったし、今も多くの支持を得ているのです。

表現が先か、技術が先か。それくらいのことは聴き手が見分けなければなりません。

本作で七尾旅人はライナーでも書いている通り、どこか不安定で危ういところがあります。咳き込んでいたり、機材のトラブルらしき様子も映っています。

しかし、それらをカヴァーするだけの揺るぎない世界観と表現力がカヴァーあるのが分かります。

梅津さんの名人芸とも言えるサポート。効果的なヴィジュアル。そして七尾旅人の類稀なる歌声と、時にアヴァンギャルド、時にポップな歌の数々。

これらが揺らがないからこそ、この作品は後に重要な作品となる風格を持っているのです。

1938 追憶の兵士【えい】〜エアプレーン〜赤とんぼは、間違いなく本作のクライマックスにあたる流れでしょう。

「赤とんぼ」は、向井秀徳坂田明とのセッションなどでも披露されているファンにはおなじみのカヴァーです。

圧倒的な表現力、ポップでもアヴァンギャルドでもフォーキーでもノイジーでもある強烈な歌の流れ。

七尾旅人が10年で到達した、ある種の極みが垣間見えます。

そして、本作はほぼ新曲で構成されていて、この後作られるだろう新作が出ることで、この作品が更に補完資料的作品として価値が増すように思います。

ここで見られるのは七尾旅人の強力な妄想リアリズムの断片。パズルのピースのいくつかであり、それらがどのように再構成され、どのピースが活かされるのかを聴き手が妄想する手がかりだと思われるのです。

ますます七尾旅人から目が離せませんね。

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HMVがAmazonに一生かかっても勝てないワケ

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ご多分に漏れず音楽愛好家としてはAmazonをフル活用している。

レコード屋を回るより、値段の比較をしたり、目当てのレコードを探したりするのに時間と労力と価格でメリット大だからだ。

ネット販売で探すとなるとAmazonにどうしてもなってしまうのは、レビューの情報量、価格設定、配達までにかかる時間が圧倒的にAmazonが優位に立っているからだ。

色々言い訳をしてAmazonを批判する同業者もいるが、Amazonはそれらを圧倒するだけのサービスの充実さがあることを認識した方が良いと思う。

個人的にはAmazonに一極集中してしまうのは良くないと思っている。独占になるのは消費者として不都合だと思うからだ。

競争原理が働いた方が消費者にとって良いのは当然である。

Amazonの次に利用するのはHMVだ。

HMVはヨーロッパ系、ラテン系で時折Amazonより価格が安い場合があるから。

特に新譜の類では、Amazonに出ていない商品があったり、4点で割引などを利用すればAmazonよりお得な場合がある。

しかしながら、HMVのやり方ではAmazonは絶対に勝てないし、下手をすると悪感情を持たれるようなことがある。

あらかじめ言っておくが、私は「お客様が神様です」的なサービス至上主義な考え方が嫌いだ。それなりに筋が通っていれば、文句をつける気はない。

今現在、HMVにムカムカきているのは、こういう経緯である。

4点購入で40%割引期間に注文した4点が一ヶ月経ってもこないのだ。

その4点はオルタナカントリー系の新譜2点とテクノ系1点、ブラジル系1点だ。

状況を見るとテクノ系とブラジル系は入荷済み。オルタナカントリー系が未入荷。

目当てで買おうと思ったのはオルタナカントリー系2点で、これがこなければ意味がないとさえ思っている。もちろんブラジル系もテクノ系も聞きたいが、未入荷2点が入らなければ4点まとめ買いする意味がない。

そして、2点のみ未入荷の状態で1か月が過ぎようとしている。

これは明らかにHMVが自分たちの都合で入荷手配を怠っている以外の理由が見当たらない。買い手の都合お構いなしということに違いないのだ。

でなければ一か月以上経って入荷しない訳がない。

アフリカなど流通が不便な国の商品ではない。アメリカの商品だ。それほどまでに手配をして入荷しない訳がないではないか。

挙句、入荷商品だけ送るか、全部キャンセルするか選択してくれみたいな文言が書かれたお知らせがきて、丁寧な口調で対応を聞かれたりする。

結局、手配する気がないのだ。であればそんな手配が出来ない商品を販売ページに掲載すべきではない。

腹が立つのは未だにサイトでは手配さえ出来ない商品を購入可能と掲載していることだ。

このようなご都合主義の販売サイトで販売を伸ばせるわけがないし、余程値段が安くない限り購入したいとも思わない。

HMVのこのサービスの悪さは、ネット販売のサービスレベルでも下の下だと思う。

本当に腹が立つし、このような対応をする限り、最優先でHMVで購入することはありえない。同じ価格ならばAmazonで購入する。

HMVは、そう言った対応を反省すべきだと思う。

もう、この天才少女から目が離せない!サラ・ジャローズ

最新作「アンダーカレント」も激賞され、益々注目を集めるサラ嬢。

ローリングストーン誌が「天才」と認めたのには、彼女の音楽的才能だけでなく、テクニック、歌唱力、表現力全てにおいて群を抜いているからとしか思えない。

ブルーグラス界のノラ・ジョーンズなどと言われているが、正直そんなスケールじゃないと個人的には思っている。

誰がなんといおうとブルーグラス界の吹石一恵で押すw

このライブ映像の歌唱力には参った。

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圧巻の歌唱力。バックにベテラン、腕利きを揃えて、これだけの貫禄。

恐るべしサラ嬢。

ナールズ・バークレイのカヴァーを、ここまで迫力満点に歌い上げるとは…

サラの歌にバックが徐々にヒートアップしていくのが分かるのがすごい。

とにかくサラ嬢は、今聴かないでどうするレベルの凄さだと思うので、早く聞いておくべき。

とにかく2時間くらいタップリとサラのソロステージを本気で見たい!

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fujirock 2016 かっこいい初めて聴くよなナンバー〜電気グルーヴ

フジロック2016、ようやくタイムテーブルが発表されました。

どのように動くかは、後日ここで発表するにして(誰も待ってないけどw)、改めて思うのは電気グルーヴのクロージングが思った以上に効いているということに尽きます。

よもやの電気グルーヴクロージングに、個人的にはウィルコのクロージングを期待していただけに純粋に嬉しい悲鳴とは言えませんでしたが、それでもこのスペシャルな発表は「やられた!」とニンマリさせてもらいました。

これに合わせて電気のアルバムを振り返ってみようと、ラックから引っ張り出してきて改めて電気のアルバムを振り返ってみました。

 

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元々が砂原良徳贔屓の人間ですが、際立って7枚目の「A」のクオリティが高いのに驚くばかりです。

個人的に砂原の「Love Beat」をテクノのアルバムとしては3本指に入ると豪語している人間なので、電気の絶頂期は砂原在籍時と確信しているのですが、その中でも「A」の安定感、クオリティの高さ、ポップ性など様々な要素から抜きん出ていると思わざる得ません。

砂原自身「A」で理想とするものが作れたので脱退を表明したと認めているくらいで、孤高のアーティスト砂原は未練を残さず電気を脱退することができるだけのものを作った自負があったようです。

 

電気グルーヴとは、石野卓球ピエール瀧の二人のBL感さえ漂う特殊な密室空間でもあります。

この二人の醸し出す強固な世界観を打ち崩すのは、常人には極めて困難と言わざる得ません。

唯一この世界に割って入り、揺さぶった人のが、テクノマイスター砂原だったと思っています。

石野卓球の作る楽曲は極めてマニアックかつストイック。パブリックイメージよりも数倍一般性には欠けています。

事実卓球のソロ作は、電気名義の作品に比べて一般性に欠け、どこか実験的、閉鎖的な印象の強いものです。

その石野卓球の作るものに一般性を与え、噛み砕いたり煙に巻いたりするのがトリックスターであるピエール瀧の役割なのです。

だからこそ一見無用の長物に見えるピエール瀧は、存在意義があり、なくてはならない存在でもあると言えるでしょう。

 

しかし、その二人のバランスがぐらついたのが砂原在籍時の電気にはありました。

砂原のポップ性は石野卓球との相性が抜群でした。卓球の極めてストイックなテクノ志向に奇跡的に拮抗し、聴きやすくしたり、クールなものに転化させるだけのセンスを砂原が持っていたと言わざる得ません。

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華麗なストリングスアレンジが美しい、電気史上最大のヒットとなった「シャングリラ」が「A」に収録されているのは偶然ではないでしょう。

石野vs砂原のバンド内の(良い意味での)凌ぎ合いがスリリングかつエキサイティングだったのは、在籍当時のこのアルバムを聞けばよく分かります。

電気の音楽性が際立ち始めた「KARATEKA」は、まだ砂原色は出ていません。むしろ、当時トレンドだったビースティーボーイズの「チェック・ユア・ヘッド」に触発されて、徐々に変化をしていった従来の電気グルーヴの路線を引いています。

もう一つの傑作「VITAMIN」で、砂原は自分のカラーに徐々に染めていき、「A」でようやく卓球のサウンドに融合していったと言えます。

この時期の電気の音楽性の高さ、幅広さはもっと評価されて良いでしょう。

卓球のテクノ愛溢れるストイックな世界観に、砂原の卓越したサウンド構成能力、瀧のツボを抑えたMC能力が奇跡的なバランスでせめぎ合っているという意味でも日本のテクノ史に残る傑作となっていると思います。

 

さて、フジロックスペシャルゲストとして電気グルーヴが披露するのは、どんなパフォーマンスでしょう?

何かサプライズを期待しない方が無理というものです。

勿論、現在進行形の電気グルーヴのステージでも満足できますが、ここは一つスペシャルなステージを見せてもらいたいものです。

 

やっぱりここは砂原良徳のゲスト参加を期待しないではいられません。ベートーベンの前座もありですが、統一性に欠けてしまいそうですし。

ここでフジロックのタイムテーブルを見直して吃驚しました。

偶然かもしれませんが、別のアーティストのサポートとしてですが、スティーヴ・エトウの名前が…w

こうなると語り草になっている電気グルーヴ武道館公演の編成が頭をよぎります。

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今もって素晴らしいパフォーマンスですね!

私が電気グルーヴが凄いことになっていると確信したのは、「KARATEKA」の参加ミュージシャンにスティーヴ・エトウブラボー小松がいることに気づいたからです。

今となっては伝わりにくいですが、この二人は当時、かなり尖ったことをやっているミュージシャンの筆頭でした。

この二人が参加したことで、電気の作品が二倍、三倍ぶ厚いサウンドになったのは「UFO」と「KARATEKA」を聞き比べれば分かります。

こうなると初期の傑作「KARATEKA」~「フラッシュパパ・メンソール」の再現ライヴも面白いと思います。

スティーヴ・エトウブラボー小松砂原良徳がサポートした電気グルーヴオーケストラなんてワクワクしないでしょうか?

欲張るのは良くないとは思いますが、ここは一つ祭りの気分を盛り上げる、そんな企画があっても良いかも。

もう一方で解散なんかしないだろうなぁ…と心配している自分がw

なんだかんだ言って、電気グルーヴのクロージングは、個人的にも真のヘッドライナーにさえ思えるくらい楽しみにしている自分がいます。

さあ、タイムテーブルとにらめっこでもしましょうw

sarah jarosz / song up in her headを改めて聞いてみた

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サラ・ジャローズの1stアルバム「Song Up In Her Head」は、タイトル曲で幕を開けます。

言ってみれば、ご挨拶。そして、今まで大事に温めてきた自身の世界観や音楽観を満を持して披露する場でもあります。

1stアルバムの幕開けの曲は、彼女の思いが凝縮された曲と言っても良いし、ましてやタイトル曲ともなれば、サラ・ジャローズの初心や理想の音楽、彼女のアーティストとしての指針などが全て詰め込まれていると言われてもおかしくない訳です。

そういう意味でもキャリアの中で重要かつ象徴となる曲と言っても良いでしょう。

そして、天才サラ・ジャローズは、そのご挨拶をパーフェクト以上にこなしていることが分かります。

何よりバックを務める猛者たち。

ジェリー・ダグラス、クリス・シーリ、ダレル・スコットというストリングスの極め人たちでガッチリ固めつつも、彼女が物怖じもせず貫禄たっぷりに歌い上げているのに驚くばかりです。

ジェリーやクリスのグルーヴィーなストリングスプレイが錯綜する素晴らしいバックトラックを背に、新人らしからぬ歌声でサラはしっかり歌を支えています。

特にジェリー・ダグラスのスライドとクリスのマンドリンのスリリングな掛け合いときたら下手をすれば歌を忘れさせてしまいかねない迫力なのに、決して負けてない。

ハスキーなサラのボーカリストとしての才能が光る一曲に仕上がっています。

既にして大物の貫禄たっぷり。この時点で彼女がタナカンシーンを背負って立つ存在になる予感はマックスに達しています。

しかも、その後もアビゲイル・ウォッシュバーン、ベン・ソリー、ティム・オブライエンなどが入れ替わり立ち代りで彼女のバックをガッチリ固めます。

彼女のキャリアを時期尚早と分かっていながら振り返ってみると、最早タナカンシーンのトップにいずれ立つのは間違いないと確信させられます。

個人的に敬愛するギリアン・ウェルチでさえ、サラの才能を持ってすれば凌駕するとさえ、今は思っています。

ギリアンが不器用さを武器に独自の世界観を確立しているのに対して、サラは完璧にカントリーやブルーグラスの伝統を掌握した上で破壊し、再構成させている。

ピアソラレベルの破壊者にして創造主になれるだけの素質を持っていると言わざる得ない。そして、その境地にいてシーンを牽引していける逸材は、サラとクリス・シーリーくらいしか考えられないと思うのです。

今改めて聞いてみれば、彼女の底知れぬ才能は、1stアルバムにして早くも花開いており、この後の早熟としか言いようのない成長を遂げる兆候が至る所に見られます。

これを読んで少しでもサラに興味を持ったなら、1stから聞くことをお勧めします。

彼女のキャリアは1stで既に完成されています。

青臭さなど無縁と思える完成度に、聞き手はただただ驚くばかりです。

 

fujirock 2016 今年の夏、最も静かなヘッドライナー sigur ros

「孤独とは一人の時ではなく、大勢の人に囲まれている時に感じるものだ。」

とある人の言葉です。

sigur rosの音を聞いていると、この言葉を静謐に変えると、偶然ではありますが、ピッタリ当てはまるように思えてきます。

 

「静謐とは一人の時ではなく、大勢の人に囲まれている時に感じるものだ。」

 

シガーロスの音に静謐を感じるのはなぜだろう?

それなりの爆音を鳴らしているのに、静謐さを感じるのは100%矛盾しているのではないでしょうか?

 

とはいえ、シガーロスにある種の荘厳さや静謐さを感じる人も多いでしょう。

ましてや、今回はジェイムス・ブレイクからシガーロスという流れです。

クライマックスを迎えるグリーンは、異様な静けさを感じる空間になってもおかしくありません。

ジェイムス・ブレイクは初出演の際、ホワイトのトリを務め、一種異様な音空間を出現させました。

ホワイトでも指折りの音響の良さもあって、低音がビシビシ体に突き刺さるようでもあり、野外と言うのを忘れてしまいそうな内省的なライヴだったのを覚えています。

個人的な印象としてはネオアコのダブバージョンのような、そんな美しくも一種ゆがんだ空間で圧巻の一言に尽きました。

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新作は未聴とはいえ、その流れからのシガーロス

この流れは、グリーンのあの大きな空間をどのように空気に染め上げるのか、ちょっと興味があります。

最新(今年の6月)スペインのフェスの映像を見てみましょう。

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「festival」でさえ、ちょっとヘヴィな展開になっています。

かなりアグレッシヴでヘヴィな印象で、盛り上がるでしょうが、この攻めがフェスの場でどう作用するか、いささか不安を感じてしまいそうです。低音がビシビシ効いてますしw。

シガーロスにしてはヘヴィなサウンドにシフトしているのが分かります。

2013年の「kveikur」と同一線上にある路線でしょうか?

この流れだとフェスにしては、かなり重い空気が立ち込める可能性もありますねw

 

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個人的には、もう何度見たか分からないこのライヴ映像のようなシガーロスを期待してましたが、今回のツアーでこのようなピースフルな展開は望めないようですw

ヨンシーは、現時点でビジュアル、サウンド、世界観で言えば指折りのアーティストだけに、いつまでも同じ地点に居座るようなアーティストではないのは承知の上。

彼がどんな新しいサウンドビジョンを見せてくれるか、楽しみにして損はない筈です。

さてさて、どのような姿を見せてくれるか楽しみです。