ギリアン・ウェルチとは誰か?
1967年に生まれたギリアン姐は、出世作「Orphan girl」とあるように、実際に孤児であり、ウェルチ夫妻に引き取られ、育てられました。
学生時代はゴスバンドなどでベースやドラムを担当、友人がスタンレーブラザースの音源に合わせて演奏しているのを目の当たりにし、自分が一生かけて演る音楽に出会ったという賢明な判断をし、今に至っています。
デビューは1996年、既にデビュー当時からタイムレスだった「リバイバル」をリリース。アメリカーナの旗手T・ボーン・バーネットのプロデュースによります。
それ以来、現在(2022年)まで四半世紀の活動で世に出したオリジナルアルバムはわずかに5枚。未発表客集を2セット。寡作にもほどがありますが、そのいずれもが素晴らしいものであり、ノラ・ジョーンズをはじめ、多くの女性シンガーからリスペクトされる存在となっています。
さて、ギリアン・ウェルチですが、ファンにとってギリアン・ウェルチというソロ名義は正真正銘ソロアルバムといって良いのか?という疑問がずっとついて回っています。
夫であり、よき音楽的パートナー、デイヴ・ローリングと共に確固たる世界を築いていますが、アルバム、ライヴともども彼のギタープレイは見どころの一つとなっています。
勿論卓越したソングライティング、彼女ならではのゆらぎのある歌声など魅力は沢山ありますが、デイヴのギタープレイはギリアンのサウンドになくてはならないものです。
私はパリでギリアンのライヴを観ることができましたが、その時のハイライトの一つは「ホワイトラビット」のカヴァーでのデイヴのギターソロでした。
つまり、ギリアン・ウェルチとはギリアンとデイヴのユニット名と捉えておくべきというのはファンならば至極当然のことと言えます。
ただ、話をややこしくしているのが、デイヴのソロ作品です。
Dave Rawlings Machine名義でオリジナルを2枚。David Rawlings名義で1枚アルバムをリリースしているのです。
いずれも2009年、2015年、2017年のリリース。
ファーストソロのジャケットはいかにも彼のソロというジャケットですが、2枚目にあたる「NASHVILLE OBSOLETE」では、もはやユニット「ギリアン・ウェルチ」のジャケットとしか言いようがないものになっています。
更に事をややこしくしているのは、2020年にリリースされたグラミー賞を受賞したカヴァーアルバム「All The Good Times Are Past&Gone」です。
こちらは自らのレーベルからフィジカルリリースし即完。その後、再度一般フィジカルリリースを2022年にしています。
ここで、ついに名義はGillian Welch&David Rawlingsとなりましたw
ギリアン・ウェルチとはソロ名義なのかユニット名なのか?はたまた名義はいい加減なのか?
長年ファンを続けてきて、更に闇の中となった気がします。
作品の内容によって変わるのではないか?と思う方もいるでしょう。
確かにDave Rawlingsのアルバムでは、メインボーカルはデイヴでギリアン姐はコーラスを取っているので異論はないと言えばありません。
ギリアン名義のアルバムの主導権がギリアンにあるというのが判断基準という推測もできるでしょう。
良い意味で、ギリアン・ウェルチの世界観はギリアン名義もデイヴ名義も全く違いません。
むしろ、カヴァーでさえ、その世界観が見て取れる強靭な個性を持っています。
翳りや哀愁に満ちたメロディ。ギター2本(バンド形態もありますが)、もしくは無駄なものをすべてそぎ落とした潔い演奏にギリアンの儚げな歌声がマッチして見事なギリアンワールドを構築しています。
だからこそなおさら、ここでAll The Good Timeで両名名義が出たことで、この解釈もビミョーになってしまいました。
デビュー曲に戻ってみましょう。
自らの出自を全面に押し出した「Orphan girl」。
孤児であった彼女にとって、孤独はとても身近な親しいものだったにちがいありません。
もしかしたら、孤独感を抜きに自らを表現することは無理だったのではないでしょうか?
彼女の歌う名曲の数々は、いわゆるポップソングとは言い難いものです。
むしろ、少々眉間に皺を寄せて歌うし、聴く側もまるで良質な悲劇でも見ているかのような表情で彼女の歌を聴き、感情移入していく類のものと思われます。
個人的には日本でいえば八代亜紀の「舟唄」や「夜の慕情」を想起します。
寂寥感は彼女の歌には常について回っていますから、そこには彼女の出自と無関係ではないと言えるのではないでしょうか?
「もう、孤独も不幸も沢山…」
そう歌うことで、「だからこれからは!」というちょっと遠回りな希望を讃えた、そんな歌のような気がします。
ギリアン姐にとって、彼女を取り巻く世界は決して優しくなく、単純に楽しいものではないように聞こえます。
しかし、デイヴのソロも同様です。
ミイラ取りがミイラなのか、長く連れ添うことで同化していったのか。
とにかく、二人の音楽はまったく揺らぐことなく、彼らのエレジーは変わることなく紡ぎ出され、歌い続けられることと思います。
ここまで書いて言うのも何ですが、私は二人がどのような名義でリリースされようと関係ありません。
そもそもが寡作過ぎる二人ゆえに、出していただけるだけで感謝しかありませんw
ここまできてなんですが、二人にとって名義など些細なことなのでしょう。
歌うべきメロディと歌詞があるだけ。それを丁寧に歌うこと以外に、あまり関心がないのかもしれません。
むしろ、そうであって欲しいと思います。