一発屋どころか実力派 Bruce HornsbyのJazz Album”Camp Meeting"
ブルース・ホーンズビーは、こと日本では相当誤解されているアーティストの一人でしょう。
80年代に大ヒット曲「Way It is」があるものの、その後、ジャンルレスな作風や活動もあって、情報が入らない(捉えきれない)為に日本では「一発屋」のイメージしかありません。
かくいう自分もB・ホーンズビーを「愛は勝つ」のKANのようなイメージで捉えていました。
日本のK ANが優れたピアノ弾きでありアーティストであったように、ブルースも同じだったのを知ったのは、21世紀にとっく突入してからでした。恥ずかしながら。
実はグレイトフルデッドに加入していたり、一筋縄ではいきません。
ものは試しとNoisemakersとのライブ盤「Here Comes Noisemakers」を聴いて驚きました。
オープニングからエンジン全開。まずイメージしたのはデッドではなく、ザッパでした。
小気味よい転調や変質的なリズム。にも関わらずポピュラーミュージック。
これほどまでに魅力的なアーティストだったのか!
と臍を噬む思いでした。
しかし、ブルース沼はそこで終わりません。
ちょっと禿げ上がりそうな内気な白人おじさんのようなルックスからは想像ができないくらいアグレッシブでクリエイティヴな作品を連発していることがキャリアを追うごとに判明していきます。
最近ではインディークラシックの雄ymusicやボン・イヴェール、ハイムなど、ジャンルを横断して様々な新進気鋭のアーティストとてらいもなく共演するあたり、地味なD・バーンのような懐の深さもあります。
個人的には広義な意味でアメリカーナのアーティストと思っていて、カントリー、ブルーグラス、ジャズ、ファンク、ロックンロール。アメリカで生まれた音楽を再構築し続けるアーティストの認識です。
その中でも異色な作品と言えるのが「Camp Meeting」です。
ジャズ畑の猛者クリスチャン・マクブライドとジャック・デジョネットとのトリオ作で、カヴァーしているのが、バド・パウエルやM・デイヴィス、O・コールマン、コルトレーンといったジャズジャイアント達の楽曲。
ロックファンからもジャズファンからも恐らくスルーされてしまったジャンルレスな2007年の一枚なのでしょう。相変わらず謎なセンスのジャケットも健在ですw
勿論内容は充実しているし、ここでもブルースは洗練された演奏を披露しています。
これがブルースの弱点だと個人的には思っていて、インパクトやアグレッシヴさより聴きやすさが前面に出てしまうため(ここが魅力でもあるんですけどね)、コアなファンには物足りない印象を与えてしまう。
とはいえ、作品はやはり素晴らしいです。
攻めた選曲にザッパmeetsマイルスmeetsシティポップといったアグレッシヴなアプローチなのに、日曜日の午後にのんびり聴いてもハマってしまうポップさです。
特にC・マクブライドのベースが痺れます。ブルースのいつものピアノの背後で煽り立てるような攻撃的なベースを聴かせていて、Noisemakersにはない彩りを添えています。
デジョネットのドラムもバド・パウエルの「Un poco loco」などエッジが効いたプレイを見せています。
願わくば、ブルースがソロやNoisemakersなどでは見せない側面を見せていればと惜しまれますね。
それがない故にブルースファンが歓喜するアルバムの域を出なかったのではないか。
とはいえ、インプロやセッションのせめぎ合いが楽しいジャズの入門編としても魅力的な一枚。
おすすめです。
今年も天才は働いていた キャロライン・ショウ
昨年から今年にかけて、妄想していたのは、クリス・シーリーvsキャロライン・ショウの怪物的天才同士の対決(共演)でしたw
ザッパ的な雑食性をいかんなく発揮し、ヨーヨーマを飲み込み、メルドーに歌を歌わせてしまう大物食いを得意とするクリス。
一方、明確な世界観を揺らがすことなく、ymusicやso parcussionなど声楽、四重奏、アカペラ?まで独自の美学を拡大し続けるキャロライン。
この二人のワーカホリックっぷりと多彩さには、本当に頭が下がります。
ということで、クリスに一歩も引かない(個人見解)キャロラインのPVをどうぞ。
なんか共演の噂がチラチラ聞こえてきているので、激楽しみにしているんですけどw
ストーンズはAppleのCMで聞いた女の子
巷で(勿論、好きものの間でですがw)評判のMolly Tuttle。
ルシンダ姐やギリアン姐は言うまでもなく良いのだけれど、カントリー畑で言えば、少々亜流と言わざる得ません。
女伊達らというか、ダミ声だったり、従順じゃなさそうだったり、正統派の女性Voとは言い難いのは仕方ない。
エミルー姐のような正統派リスナーさえも溜飲をさげざる得ないような歌い手も出てこないといかんのではないかと、極東で勝手に憂いていたところで、Mollyの登場は吉報でした。
声、ルックス、サウンド、どれをとっても正統派。
1994年生まれ。少女時代から天才的なプレイヤーとして名を馳せ、13歳で父親と連名でデビュー、1stアルバムはエヴァーグリーンなサウンドの快作で、一気に名を馳せました。
2ndでは気鋭のアーティストのカヴァー、FKAツィッグスやナショナルのカヴァーと新世代であることを高らかに示しています。
特にストーンズの「She’s a rainbow」は、いかにもAppleのCMでストーンズが好きになりましたといった軽やかさがあり、出色の出来です。
モリーのフラットピッキングの腕は素晴らしく、ギタープレイ自体は、なんとデイヴ・ロウリングに大きな影響を受けたとか。
デイヴも「彼女のプレイは間違いない」と太鼓判を押すほどですから大したものです。
彼女の1stから先日リリースされた3rdまで作品は手堅い。
3rdには、ファンからゲストを活かし切れていないとか、ソングライティングに目新しさがないと手厳しい言葉が続いていましたが、それもこれも彼女への期待が大きいからに他なりません。
モリーのギターサウンドはアナログ映えするのではないかと思い、1st、2ndを購入しましたが、これはレコード会社が手抜きなのか、近年稀に見る音の悪さ。
モヤがかかったような音で、肝心のモリーのギターが奥に引っ込んでしまっていてもどかしい。
配信の方がギターが前に出ていて、インパクトもある強靭なサウンドなので、アナログはおすすめしません。
3rdはノンサッチなので改善されている可能性が高いのですが、2枚とも音が劣悪だったので二の足を踏んでしまっています。
誤解なきようお願いしますが、モリーはこれからアメリカーナシーンを引っ張っていく若手なのは間違いありません。
ベラ・フレック同様、バッキングの名手のような存在になりがちなシエラ・ハルやサラ・ジャローズと共に、アメリカーナ女性シーンを活気づけてくれることを期待したいものです。
ついにあのプロジェクトが本格始動?
ひっそりとリリースされた1stアルバムで、アメリカーナ愛好家に大きな衝撃を与えてくれたBonny Light Horsemanが再始動するようです。
アナイス・ミッチェルのソロアルバム、Big Red Machineでテイラー・スウィフトと肩を並べてのボーカル参加など、アナイスの活動は活発だったので、余り「遂に」感はありませんが、それでもあの奇跡的なアルバムを再びと思うファンにとっては、待望の活動再開です。
もう、リリース発表などではなく、サブスクで新曲をリリース。ついでアルバムリリース日時の発表が普通。
Bonnyも例にもれず、10月の新作リリース発表と時を同じくして新曲がアップされています。
ただ、これが聞いてみると普通なんです。
あのヒリヒリとした緊張感。古典のカヴァーと言うルールの下、あの濃密な空気の中で解き放たれる歌声と無駄のない演奏に比べると新曲は少しルードな印象が強いです。
さて、新作はいかに?
とはいえ、あのユニットが駄作を作るとは(今のところ)到底思えません。
先ずは次の作品発表を待とうと思います。
少しドキドキです。
良きリスナーは良きアーティスト Bruce Hornsby
良いリスナーが良いアーティストにちがいないと思うのは、D・バーンのプレイリストを見ていると、なかなかの説得力を持ちます。
バーンがStビンセントと共演をしたり、かつてはカエターノ・ベローゾと連名のライヴアルバムをリリースしたりすると話題にもなるますし、注目を集めますが、日本では一発屋の印象が強いだけにスルーされてしまうのがブルース・ホーンズビーでしょう。
かつてはグレイトフルデッドに参加したり、最近のアルバムではymusicやジャミラ・ウッズと共演。
なかなかにめざとく新進気鋭のアーティストと共演していますが、先行シングルでフューチャリングされているのは、なんとブレイク・ミルズと分かっているな~という感じです。
あまりにもアクロスザボーダー過ぎて、ジャンル分けが難しく話題にも上がりにくいですが、ノイズメーカーズ名義になってからの彼の作品は常に注目に値します。
新しい音楽の視座が欲しい人は、彼の音楽を追っかけることをお勧めします。
突然トッド・ラングレンのごとく Rostamのどうやってもポップソング
元ヴァンパイアウィークエンドという冠が意味をなさない異色のポップシンガーがこのRostam。
ノンサッチャーとしては大注目のアーティストですが、この人一筋縄でいかない。
ポップソングを量産しているですが、美メロながら必殺のポップフレーズで聴くものを鷲掴みするタイプではありません。
むしろ楽曲の構造やサウンドプロダクションはアヴァンギャルドだったりフリーミュージックに近いところがあって、決してとっつきやすくない。
全体的な印象は超ポップなのにディテールを突き詰めるとアヴァンギャルド。
これって天下のポップ職人トッド・ラングレンに非常に近い印象がある。
何をやってもポップソングになってしまう業を感じるところも一緒。
ポップソングを作る故にマニアックになってしまうこのタイプの人は、落ち着くところは通受けするアーティストになってしまうのが容易に想像できるのが切ないですw
ギリアン・ウェルチとは誰か?
1967年に生まれたギリアン姐は、出世作「Orphan girl」とあるように、実際に孤児であり、ウェルチ夫妻に引き取られ、育てられました。
学生時代はゴスバンドなどでベースやドラムを担当、友人がスタンレーブラザースの音源に合わせて演奏しているのを目の当たりにし、自分が一生かけて演る音楽に出会ったという賢明な判断をし、今に至っています。
デビューは1996年、既にデビュー当時からタイムレスだった「リバイバル」をリリース。アメリカーナの旗手T・ボーン・バーネットのプロデュースによります。
それ以来、現在(2022年)まで四半世紀の活動で世に出したオリジナルアルバムはわずかに5枚。未発表客集を2セット。寡作にもほどがありますが、そのいずれもが素晴らしいものであり、ノラ・ジョーンズをはじめ、多くの女性シンガーからリスペクトされる存在となっています。
さて、ギリアン・ウェルチですが、ファンにとってギリアン・ウェルチというソロ名義は正真正銘ソロアルバムといって良いのか?という疑問がずっとついて回っています。
夫であり、よき音楽的パートナー、デイヴ・ローリングと共に確固たる世界を築いていますが、アルバム、ライヴともども彼のギタープレイは見どころの一つとなっています。
勿論卓越したソングライティング、彼女ならではのゆらぎのある歌声など魅力は沢山ありますが、デイヴのギタープレイはギリアンのサウンドになくてはならないものです。
私はパリでギリアンのライヴを観ることができましたが、その時のハイライトの一つは「ホワイトラビット」のカヴァーでのデイヴのギターソロでした。
つまり、ギリアン・ウェルチとはギリアンとデイヴのユニット名と捉えておくべきというのはファンならば至極当然のことと言えます。
ただ、話をややこしくしているのが、デイヴのソロ作品です。
Dave Rawlings Machine名義でオリジナルを2枚。David Rawlings名義で1枚アルバムをリリースしているのです。
いずれも2009年、2015年、2017年のリリース。
ファーストソロのジャケットはいかにも彼のソロというジャケットですが、2枚目にあたる「NASHVILLE OBSOLETE」では、もはやユニット「ギリアン・ウェルチ」のジャケットとしか言いようがないものになっています。
更に事をややこしくしているのは、2020年にリリースされたグラミー賞を受賞したカヴァーアルバム「All The Good Times Are Past&Gone」です。
こちらは自らのレーベルからフィジカルリリースし即完。その後、再度一般フィジカルリリースを2022年にしています。
ここで、ついに名義はGillian Welch&David Rawlingsとなりましたw
ギリアン・ウェルチとはソロ名義なのかユニット名なのか?はたまた名義はいい加減なのか?
長年ファンを続けてきて、更に闇の中となった気がします。
作品の内容によって変わるのではないか?と思う方もいるでしょう。
確かにDave Rawlingsのアルバムでは、メインボーカルはデイヴでギリアン姐はコーラスを取っているので異論はないと言えばありません。
ギリアン名義のアルバムの主導権がギリアンにあるというのが判断基準という推測もできるでしょう。
良い意味で、ギリアン・ウェルチの世界観はギリアン名義もデイヴ名義も全く違いません。
むしろ、カヴァーでさえ、その世界観が見て取れる強靭な個性を持っています。
翳りや哀愁に満ちたメロディ。ギター2本(バンド形態もありますが)、もしくは無駄なものをすべてそぎ落とした潔い演奏にギリアンの儚げな歌声がマッチして見事なギリアンワールドを構築しています。
だからこそなおさら、ここでAll The Good Timeで両名名義が出たことで、この解釈もビミョーになってしまいました。
デビュー曲に戻ってみましょう。
自らの出自を全面に押し出した「Orphan girl」。
孤児であった彼女にとって、孤独はとても身近な親しいものだったにちがいありません。
もしかしたら、孤独感を抜きに自らを表現することは無理だったのではないでしょうか?
彼女の歌う名曲の数々は、いわゆるポップソングとは言い難いものです。
むしろ、少々眉間に皺を寄せて歌うし、聴く側もまるで良質な悲劇でも見ているかのような表情で彼女の歌を聴き、感情移入していく類のものと思われます。
個人的には日本でいえば八代亜紀の「舟唄」や「夜の慕情」を想起します。
寂寥感は彼女の歌には常について回っていますから、そこには彼女の出自と無関係ではないと言えるのではないでしょうか?
「もう、孤独も不幸も沢山…」
そう歌うことで、「だからこれからは!」というちょっと遠回りな希望を讃えた、そんな歌のような気がします。
ギリアン姐にとって、彼女を取り巻く世界は決して優しくなく、単純に楽しいものではないように聞こえます。
しかし、デイヴのソロも同様です。
ミイラ取りがミイラなのか、長く連れ添うことで同化していったのか。
とにかく、二人の音楽はまったく揺らぐことなく、彼らのエレジーは変わることなく紡ぎ出され、歌い続けられることと思います。
ここまで書いて言うのも何ですが、私は二人がどのような名義でリリースされようと関係ありません。
そもそもが寡作過ぎる二人ゆえに、出していただけるだけで感謝しかありませんw
ここまできてなんですが、二人にとって名義など些細なことなのでしょう。
歌うべきメロディと歌詞があるだけ。それを丁寧に歌うこと以外に、あまり関心がないのかもしれません。
むしろ、そうであって欲しいと思います。