ハウスと思ったことは一度もないw ムーディーマン

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個人的に生涯ベストクラスのアルバムの一つがムーディマンの「ブラックマホガニー」で、ついで本作を初めて聞いた時の印象は「おっしゃれ〜」でしたw

ところが聞いている内にオシャレと言うよりは、なんかブラックカルチャーの怨念がへばりついていると言うか、粘着質のグルーヴの渦に絡め取られるような、ちょっと怖いような印象を持つに至りましたw

「ブラックマホガニー」については、いつかじっくり書きたいと思ってますが、ここはまず久々に聞いた「マホガニーブラウン」について軽く書きたいと思います。

久々に聞いて思うのは本作がブラックミュージックの足跡に最大の敬意を払っている印象があることです。

これはムーディマンの作品に共通するもので、とても律儀なアーティストというのが個人的な印象ですね。

本作は「ブラックマホガニー」がジャジーなのに対してソウルフルな印象です。

特に①でヒップホップ的なアプローチをして時代性を明確にしながらも、ラストの「Black Sunday」のゴスペル的な高揚感は、リアルなゴスペルではなく疑似ゴスペルのようでありながらも、ハウスで括られるアーティストの音とは思えない非常に伝統的なゴスペルが持つ無骨なソウルを強く感じます。

この人の作品を聞くたびに、この人はハウスなのだろうか?と首を傾げてしまいます。

一貫してブラックミュージックを俯瞰しているDJのイメージしかありませんw

傑作「ブラックマホガニー」で個人的に比するものは常にジョン・コルトレーンの「至上の愛」です。多くの人に共感してもらえるとは思いませんが、いつもこの二作は自分の中では同ジャンルというか同線上にある作品です。

どこか底が見えない、だからこそ惹かれずにはいられない。

快楽を追い求める「音楽」の中で、どこか快楽以外に的を絞りながら、結局快楽に行き着いたような摩訶不思議な作品というようなイメージです。

本作もそんな底知れなさを感じるというか、ムーディマンなりにブラックミュージックの足跡を一枚に凝縮してみせようという無謀なコンセプトが見え隠れするように思えます。